葬儀すること、弔電すること
葬儀すること、弔電すること

葬儀すること、弔電すること

PAGETITLE
人が死ぬ、普通に生活していても、その事実は変わりません。なぜ人が死ぬのか、考えた所で意味はないのです。死というのは、誰にでも降りかかる災厄です。いい人だろうが悪い人だろうが、社長だろうが社員だろうが、金持ちだろうが貧乏人だろうが、生きていれば死に、死ぬからこそ頑張って生きようとするのです。出来るだけ楽になるように、できるだけ楽しくなるように、そうやって精一杯生きていくのです。だから死ねば悲しい、殺されれば恨めしい、けれどそれは、生きている人たちの勝手ではないでしょうか。悲しむならば家で悲しめばいいのです。葬儀は悲しむ場じゃない、死者を悼み、供養する場なのです。そこはもう人が勝手をして良い場所じゃないと思うのです。たとえ自分の愛した人が死んだとしても、葬儀中に取り乱し、泣くのは違う、本当にその人を大事に思うのであれば、そんなことは出来ないはずです。愛する人ならば、しっかり自分を供養して欲しいと、私ならばそう思います。離れてしまったものはもう、しかたのないことなのですから。

弔電をするときは、細心の注意を払いましょう。相手方に失礼のないようにし、後日また、弔問に向かってください。そうでなくても、きちんと、相手に失礼のないようにしましょう。弔電は、しっかり相手の立場になって、お悔やみ申し上げなければなりません。形だけの弔電は、結構相手側に伝わってしまいます。もちろんこれは葬儀ではありません。しかし、葬儀と同じような気持ちで望んだ方がいいと思います。その言葉が、その気持ちが、お焼香をしなくても、そっくりそのまま、死者の魂へ届いてしまうかもしれません。そういう気持ちを忘れないようにしなければならないのです。それをないがしろにするということは、死者への尊敬の念すらもないがしろにしてしまうということに他なりません。あなたが死んだら、そうされるかもしれない、ならば、そんなことをすべきではないと、私は思います。
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